じゅりっこの歴史④第三章『正確さ』
更新日:2022年2月19日
つづき
じゅりっこはどのようにダンスが上達していったのかを探っていくシリーズです。
今回は10~17歳まで。
大きく環境が変わることに戸惑い、苦しみ、そして大きく成長します。
10歳になったじゅりっこさんは5年間通ったスタジオにすっかり慣れて、基礎がかなり身につきました。
しかしスタジオで習う振付のレベルは5年前と変わらず、踊れるダンスはエアロビに毛が生えた程度の難易度。
「このスタジオで学べることは、もうこれ以上ない」
そう判断した彼女のお母さんは、ダンススタジオを変えることを決心しました。
当時10歳だったじゅりっこさんにとっては、それまでの人生の半分をともに過ごしたスタジオです。先生も、お友達も、かけがえない存在でした。
つらくないわけがありません。
悲しくて、さみしくて、わんわん大泣きしました。
なぜそんなことをするのかと、お母さんに感情をぶつけたこともあったそうです。
しかしお母さんは知っていました。
じゅりっこさんの本当の望みはダンスを習うことではなく、上達して多くの人の前でたくさん踊ることだと。
そのためには、これ以上この環境にはいられない。
新しい環境を提供してあげなければならない。
移動先のスタジオは、
浦和区の DANCE STUDIO HEROES
(後述しますが、のちにこのスタジオでインストラクターとして勤務することになります。)
10歳のじゅりっこさんが放り込まれたのは、大人ばかりのJAZZクラス。
最初は不安と緊張で縮み上がっていたじゅりっこさんでしたが、数回通うとすっかり笑顔を取り戻していました。
それどころか、まったく知らなかった新しい世界に興奮を抑えきれない様子です。
いままで習っていたのとは全く違う、現代風の早いテンポのダンス。
邦楽の歌詞を読み取り、表現力豊かに踊るスローJAZZ。
見たこともないようなダンスを踊る先輩たち。
戸惑いながらも、自分の世界が大きく広がったことに喜びを感じていました。
そして、このスタジオで、この先10年近く指導を受ける恩師と出会います。
その先生は現役のインストラクターで、今は都内でご活躍されているそうです。
とある有名アイドルの振付や指導を担当したり、ダンス業界では大御所と言われるレベルの有名な先生です。
この先生のクラスに入ったことで振付は細かく、動きは速くなり、難易度は急激に上がったとじゅりっこさんは語っています。
変化に対応するため、じゅりっこさんは『正確さ』を身につけました。
一行で簡単に書きましたが、並大抵の努力ではありません。
こっぴどく怒られたこともあったそうです。
とある発表会の日
同年代だけのナンバーに出た際、和気あいあいとした雰囲気が、張り詰めた空気に一変します。
こんな完成度で、なぜ君たちは笑顔でいられるのか?
君たちからすると踊れているつもりなのだろうが、私からしたら到底ダンスと呼べる代物ではない。
この程度の完成度で満足するな。
もっと上を目指せ。
褒められた記憶以外は都合よく消せる特殊能力をもっているじゅりっこさんですが、このときのことはよく覚えているそうです。
脳ではなく、心に刻まれた体験なのでしょう。
この精神は、今でも彼女の中に根付いています。
この動画、見てくださった方はいらっしゃしますか?
このくらい『正確さ』にこだわって踊っています。
指一本、0.1秒間のタイミング、頭の角度、なにかひとつでも元のダンスと違ったら、それはもう彼女の中では別のダンスです。
細かい部分を気にせず個性を出すと言えば聞こえはいいですが、これはスキルが低くてもできます。自分のできる範囲で、好き勝手に踊っているだけなので。
完璧にコピーするということは、圧倒的にスキルがないと不可能です。
そしてこれは、振付を考えた先生やアーティストの方へ最上級のリスペクトでもあります。
何か月もかけて作った思い入れのある振付も、肝心の踊り手がそれを完璧に踊りきれなければ報われません。
(一方で、彼女は個性の無さ、表現力の乏しさに長く苦しむことになりますが、それはまた後程・・・。)
私の中で『正確さ』っていうのは、振付を正しく覚えることだけじゃない。動かしたいときに思い通りに動かせるか、止めたいときに思い通りに止められるかっていうコントロール力の事を言うんです。
第三章は以上です。
『リズム感』『なめらかさ』に引き続き、『正確さ』を身につけたじゅりっこさん。
次の章は、
「スキルだけで言えばあの時が絶頂期だった」
と語る、18~19歳のとても濃い時間です。
じゅりっこ史上日本最高、伝説のダンススタジオWINGとの出会いもあります。
おたのしみに。